「世界最大の民族衣装」とも言われる着物は、その無限の色と柄が織りなす美しさにより世界中を魅了してきました。
日本人ならば一度は着たいと願う方も多く、また、海外から日本を訪れる方の多くは、日本で着物を見たい、
着てみたいと思っているようです。しかし、着物は着付けが難しく窮屈、すぐに着くずれる、手入れや保管も大変、しかも高価であるなどの理由から、今まさに廃れようとしています。
着物離れが進む現状を目の当たりにし、何としても着物文化を後世に残したい…そんな思いから、仕立屋甚五郎は
着物のやっかいさ(着付け、窮屈さ、着くずれ、お手入れ、保管、費用等々)を全て取り除き、誰でも一人で簡単に着れて
着くずれせず自宅で洗える、 特許を取得した着物として誕生しました。
そして、一時のブームで終わらせるのではなく、着物を「文化」として継承すべく約 25 年取り組んで参りました。
その間、数々のTV・新聞等に取り上げていただき、 弊社の取り組みを応援してくださるファンの方々も着実に増え、
今では、着物愛好家の方のみならず着物に馴染みのなかった方、海外からのお客様まで、幅広くご支持をいただいて
おります。
時代の流れとともに環境や建築様式が変わり、顔立ちやメイク、髪型が変わる中、織田信長とお市の方は小袖を
最先端のファッションへと押し上げ、坂本龍馬は袴にブーツを合わせるなど、着物もまた、その時代に合わせて進化
してきました。
現代のライフスタイルや街並みに調和するようデザインされた仕立屋甚五郎の着物は、髪型を気にすることなく
ネックレスやイヤリングを楽しむことができ、サンダルやブーツで颯爽と歩くことができます。
まずは「誰でも一人で簡単に着れて、着くずれしなくて自宅で洗える」仕立屋甚五郎の着物を窓口として、
より多くの方に伝統文化である着物を身近に感じていただくことができれば、 和装業界全体の活性化に結びつくと
確信しております。
和装業界およびあらゆる業界の企業様、様々な分野にて日本の伝統文化を守り受け継いで来られた方々、日本全国
および世界中で着物を愛用されている方々、より多くの方々と共に、着物文化の再興に邁進いたします。
<デザイナー 略歴>
髙橋 賢一
1947年生まれ。大分県出身。株式会社日本きもの代表取締役会長。
駒澤大学経済学部卒業
青年時代は陸上競技の選手として活躍、数々の記録を残す。
<主な実績>
全国青年大会10,000m優勝
九州一周駅伝大分県代表
九州一周駅伝では、19歳の若さでメキシコオリンピック銀メダリスト”君原健二選手”を抑える力走を見せる
昭和40年 高一で5000m大分県高校新記録
昭和42年 大分合同マラソン大会(30km) 優勝
第46回(昭和43年)箱根駅伝予選会 個人成績第1位
箱根駅伝出場(3大会連続出場:ごぼう抜き記録を持つ)
《駒大陸上部OB人気投票第1位》
ビジネスの世界へ転身の後、日本の伝統文化である着物が廃れつつあることを危惧し、文化復活に注力。
1997年「仕立屋甚五郎」ブランドを立ち上げ、特許・実用新案、意匠権等を取得。
現在50社以上のマスコミ、メディアから取材を受け注目される
青年時代マラソンの選手として活躍し、多くの記録を樹立した髙橋の成功ノウハウは、マラソンを引退した後も、ビジネス、スポーツ、日常生活など様々な分野で活かされており、非常に多くの方々にご支持いただいております。
ここでは、髙橋のマラソンの記録の一部をご紹介いたします。
九州一周駅伝
1967年、第16回九州一周駅伝の大会最終日2区にて、19歳の髙橋が、メキシコオリンピックの銀メダリスト"君原健二選手"を抑え、(故)広島日出国選手と競い合う力走を見せる
また、別の新聞では
『世界の君原選手をまったく寄せ付けない』と報じられる。
この戦いは名勝負の一つとして語り継がれ、広島日出国さんが亡くなった際にも、新聞で取り上げられております。
(西日本新聞2009年10月24日)
大分合同マラソン
大分合同マラソンにて、他を寄せ付けない圧倒的な強さを見せ、24km地点から独走し、そのまま優勝
箱根駅伝
当時まだ無名だった駒澤大学の陸上部に広告塔として入部したが、箱根駅伝第三区にて、8位から4位へのごぼう抜き。
ラジオからは、『駒大の髙橋が天下の日大をとらえます!』
髙橋の記録は、今もなお残っております。